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引退会見を行ったホークス 攝津正投手のこれまでの成績・実績を振り返ってみました。

ソフトバンクホークスの一時代を築き、2018年シーズン終了後、戦力外となった攝津正投手が、引退会見を行いました。

「本日をもちまして皆様に引退のご報告をさせていただきます。本当に今までありがとうございました。10年という短い選手生活でしたが、本当に満足しています。後悔も悔いもなく終わることができました」

と会見の冒頭に述べました。

戦力外になってから、他球団でのプレーの可能性を模索しましたが、叶うことなく、引退を決断しました。




攝津投手のこれまでの経歴・成績

攝津投手は2009年に、JR東日本からドラフト5位で、福岡ソフトバンクホークスに入団。

26歳でプロ入りと遅咲きのスタートでしたが、1年目から中継ぎとして活躍!

入団当初は決してよくなかったコントロールをキャンプで磨き、シーズンが始まると、その正確無比のコントロールと決め球シンカーで、打者を打ち取ってきました。

特に右バッターのインコース低目へのストレートの正確さは抜群でした。

7回 攝津 8回 ファルケンボーグ 9回 馬原の継投を担い、勝利の方程式「SBM」と呼ばれました。

2年連続でシーズンの試合数半分に近い70試合に登板。

素晴らしい成績で2年連続の「最優秀中継ぎ賞」を受賞しました。

2009年 70試合 34ホールド 防御率1.47

2010年 71試合 38ホールド 防御率2.30




2011年からは先発投手に転向。

中継ぎとして活躍している投手が先発に変わる事に、賛否両論が巻き起こり、解説者が公然と「成功しない」と批判することもありましたが、14勝の二桁勝利を収めました。

和田、杉内、ホールトンと並んで4本柱となり、ソフトバンクホークスの2年連続のリーグ優勝、そして日本一に貢献しました。

日本シリーズで日本一が決まる9回最後のアウトを取ったのも、攝津投手でした。

(日本シリーズでは、先発、中継ぎ、抑え、全ての役割で登板しましたね)


2012年以降は、和田、杉内、ホールトンが退団したため、攝津投手が実質のエースとして活躍。17勝を収めて「沢村賞」を受賞しました。

中継ぎ投手として「最優秀中継ぎ賞」、先発打投手として「沢村賞」を受賞するのは極めてまれで、史上初の選手となりました。

しかしこの数年間は、他の投手がなかなか出てこず、また大隣投手が難病で長期離脱するなどして、攝津投手が孤軍奮闘していたイメージです。

実際、ある年には一週間のうち、攝津投手が登板する試合以外は全て黒星という時期もありました。

●●●攝津●●

2011年 14勝8敗 2.79

2012年 17勝5敗 1.91

2013年 15勝8敗 3.05

2014年 10勝8敗 3.90

2015年 10勝7敗 3.22

2015年までは、5年連続の二けた勝利、沢村賞受賞という輝かしい成績でした。




しかし、持ち味だったコントロールの良さが次第に鳴りを潜め、成績を落としていきます。

これまで中継ぎで2年連続70試合以上の登板、先発ローテの軸としての役割と負担が大きかったことが、ここで現れたのではないかとも言われました。

また、若手の台頭もあり、1軍出場機会も減っていきました。

2018年の成績は2勝4敗 5.16。

通算成績は10年間で

282試合 79勝49敗 1S 73ホールド 防御率2・98




攝津投手の写真

ここでは個人的に撮影してきた攝津投手の写真を掲載していきます。




これは2015年 神宮球場で行われた日本シリーズで優勝した後の写真です。

これが攝津投手、現役で見た最後になりました。

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